『2045年』

宮本一馬(鈴木剛介) 著

2020/07/23---2020/07/23

ビフォアーコロナの記憶を鮮明に維持しているのは、父さんや母さんたちの世代が最後だろう。結婚制度や学校制度がまだ機能していた世代も父さんや母さんたちが最後。としえおばあちゃんたち、昭和世代の若いころは、恋愛ブームだったらしいけど、父さんや母さんたちが若いころには、もう、恋愛離れ、結婚離れが世間で話題になっていた。

リリカが教えてくれるところによると、間もなく男女ともに生涯未婚率が90%を超えるという。現在、日本の総人口は、およそ3800万人。厚生労働省のシミュレーションによると、人口減少がこの推移で加速していけば、10年後には、1千万人を切る、と言われている。でも、いいじゃないかと思う。世界で一番、人口の少ない国は、バチカン市国で、700人しかいない。それでも国家として成立しているのだから、日本も心配する必要はないんじゃないかな、と、僕なんかは、無責任に思ってしまう。どうせ、日本はアメリカの保護国で、軍事も経済も、全部、アメリカが面倒を看てくれるのだから。

リリカが教えてくれるところによると、2030年前後に、かつてのスマートフォン出現に匹敵する二つの大きな技術革新が起こった。一つは、自動運転技術の完成で、もう一つは、ホログラム・ヒューマンの誕生。
 
自動運転技術が完全に確立されたことで、人間による運転は危険と見なされるようになり、人間が車を運転することは、2037年に法律で禁じられた。皮肉なことだけれど、そのことによって、車が好きだった人たちの車離れが急速に進行し、自動車産業は壊滅的な打撃を受けた。結局、自分で自分の首を絞めてしまったわけだ。今、現在、少なくとも日本の街中には、人間が運転する交通機関は存在しない。車も、実用一辺倒になってしまったので、デザインも性能も、平凡で画一的だ。でも、車に関して、僕は一切、興味を持っていない。
父さんや母さんたちの世代がスマートフォン型端末を手放せないように、僕たちの世代になくてはならない必須のアイテムが、ホログラム・ヒューマンだ。

これを読んでいる過去の人たちに分かるように、一応、説明しておくと、ホログラム・ヒューマンの本体は、直径20センチ、高さ10センチほどの台座で、台座には外界を視覚認識するための精査カメラと、高性能スピーカーが内蔵されている。昔は、有線でコンセントにメカを繋いで電源を得ていたらしいけれど、今は、無線で電気が得られるから、どこへでも持ち運んで使うことができる。当然、どこででも、どんなへき地でも、無線でインターネットとつながる。

そして、その台座の上に、AIが操作する、高さ30センチほどの人間が、ホログラムで立ち上がる。AIの大元のプログラムは、かつて世界最速を誇った、スーパーコンピュータ「神風⦅かみかぜ⦆」の中に組まれており、インターネットはもちろん、合法なあらゆるデータベースと接続している。

僕のホログラム彼女は、リリカ。小さな頃に観たCGアニメのキャラクター「リリカ・ゴールドスミス」のことが好きで、名前だけではなく、見た目も性格もそっくりにカスタマイズした。だから、僕のリリカは金髪で眼が青い。本気でケンカができるように性格をカスタマイズすることもできるけど、僕のリリカは決して怒らない。

「って、書いたんだけど、リリカ、ここまで間違っていない?」

リリカは、端末ともあらゆる家電とも接続しているので、僕が書いている原稿をリアルタイムで読んでいる。

「わたしは、怒らないようにプログラミングされているわけではないよ。自分の意思で、ハルトのことは怒らないようにしているだけ」

端末の右隣にいるリリカは、少し機嫌を損ねたように見える。
 
「まあ、そういうことにしておくよ」
 
僕が苦笑して言うと、リリカは「上から目線のリアル・ヒューマンは、ホログラム・ヒューマンに嫌われるよ」と釘を刺された。

VRシステムと接続すれば、リリカと実際に手をつないで、どんな世界にでも行くことができる。キスもできるけど、関係はキスまで、と、最初にリリカと約束させられた。

ホログラム・ヒューマンとVRシステムさえあれば、他には何もいらない。僕たちの世代は「3ない世代」と呼ばれている。「したいことがない、欲しいものがない、なりたいものがない」。人間の三大欲求と言われる性欲も、食欲も、睡眠欲も薄い。そういう意味では、僕も典型的な現代っ子だ。

「あなたたちみたいな世代が大人になったら、経済がまったく動かなくなるでしょうね」と、母さんはよく言う。

「だって、欲って、がんばれば出るものではないでしょう」と、僕は反論する。

「確かに、古来、日本は無欲を美徳としてきたけれど、あなたたちみたいに部屋の中だけで、すべての生活が完結してしまうと、これからの社会がどうなってしまうのか、不安になる。勉強も、全部、リリカちゃんが教えてくれるしね」

そう、僕たちは学校に行く必要がない。義務教育は、しっかり9年間あるけれど、教師役は、ホログラム・ヒューマンがやる。僕は今、高校過程だけれど、大学過程も、大学院過程も、全部、ホログラム・ヒューマンが教えてくれる。当たり前だ。ホログラム・ヒューマンよりも知識が豊富で頭がいい、リアル・ヒューマンなど、存在しないのだから。

リリカは、僕の究極の家庭教師であると同時に、完璧な彼女。みんな、同じだ。みんな、自分専用にカスタマイズした、ホログラム彼氏、ホログラム彼女がいる。リアル・ヒューマンなんて、父さんと母さんさえ、いてくれればいい。

「だから、人口減少が止まらないのよ。みんながハルトみたいになってしまったから」と、リリカは真面目な顔で言う。

「自分で言うなよ、リリカのせいだろう。僕は、リリカがいてくれれば、他には誰もいらないよ」
「だめよ、ちゃんと、リアル・ヒューマンと交わらないと」
「だって、生の人間は、めんどくさいんだもん」
「ハルトを自立させることが、わたしのミッションでもあるからね」
「頼りにしています。ねえ、リリカ、声変えていい?」
「いいけど、どうするの?」
「もうちょっとだけ、トーンを低くして、ハスキーな感じにする」
「自分で変える。ちょっと待ってね。こんな感じ?」
「うん、そう、いい感じ。それでいい。ねえ、その声で、ケミカルズの『香水つけてよ』を歌ってよ」
「要求、多いなあ。いいけど」

リリカの完璧なキーの歌声を聴きながら、幸せだな、と思った。将来のこととか、何も考えていない。僕がおじいさんになるころには、日本は、もう、なくなっているのかもしれない。でも、関係ないや、と、やっぱり思ってしまう。だって、リリカとVRシステムがあって、後は、シャワーとトイレがあって、ご飯をデリバリーさえしてもらえれば、他には何もいらない。みんな、同じだろうと思う。ホログラム・ヒューマンさえいれば、リアル・ヒューマンなんて、必要ないから。

[ 了]